生きるは作業のつみかさね

作業をすれば元気になれる!作業療法ノススメ。

セブン&アイHD名誉顧問 鈴木敏文(すずきとしふみ)さん  産経新聞「話の肖像画」より⑯~⑲

 

 《平成3年3月、640億円を投じてコンビニエンスストア「セブン-イレブン」の本家、米サウスランドの株式69・98%の取得を発表した。同社の経営破綻からの救援だった》

 買収のきっかけは先方の創業家からの依頼。買収話はハワイのセブン-イレブンの譲渡を記念して前年1月に開かれたパーティーの後、極秘で申し込まれた。サウスランドは1980年代に不動産業や石油精製事業に進出して経営を多角化したが、投機筋に狙われた。創業家が株を買い戻して非上場化し、社債を発行したが、直後に世界的な株価暴落「ブラックマンデー」が起こり、さらに本業でもディスカウント路線で価格競争に巻き込まれていた。

 この買収も役員全員が反対したかな、(調査に入った)コンサルタントも含めて反対。オーナー(イトーヨーカ堂創業者、伊藤雅俊氏)に相談したら「イトーヨーカ堂が潰れるのでは」と言われた。この投資が経営を揺るがすものではなかったので、「これ以上、ビタ一文出すつもりはありません。この範囲内で再建できなかったら放棄する。失敗したら申し訳ないが、伊藤社長と私が笑われ者になる。それは我慢してください」と話し合ったよ。

 発表したときは、「大赤字で何百億ドルも借金を抱えたサウスランドを買った」と、日本中が大騒ぎだったね。でも僕は「米国人の収入ががくんと落ち、人口が少なくなったわけじゃない、ただ、米国人の気に入るコンビニになっていないだけなんだ」と考えた。

 《当時、米国最大の再建と呼ばれたサウスランドの立て直しに、日本流の経営を持ち込んだ》

米セブン-イレブンの店舗数は約7300店だが、ディスカウント路線で客層が悪くなり、店はスラム化していった。現場を見に行くと、商品が箱に入ったまま積みあがっている。トラックが何百台もあるような巨大な物流センターから店に商品を押し込んでいたのが原因だった。

 

 経営陣には机をたたいて説得した。店では1つの商品の売れ行きと在庫を管理する単品管理をやってもらい、その後、POS(販売時点情報管理)を入れて商品構成を変えた。発注権限は店に戻して6カ所の物流センターは全て廃止。3年目には黒字転換した。

 《平成4年10月、イトーヨーカ堂は激震に見舞われる。株主総会対策で総会屋に利益供与を行ったとして、常勤監査役ら3人が商法違反容疑で逮捕されたのだ》

 社長だったオーナーは自ら(責任を取ると)退任された。社長は僕にやれといわれた。

 こういうこと言うと何なんだけど、それまでも(業革など)経営のほとんどを自分でやってきたからね。もちろん、オーナーとの関係においては、自分勝手に相談なしで行動したことがない。必ず、こういうふうにやりますよと話をした。だからオーナーも任せやすかったんじゃないかな。本人に聞いたら「とんでもない」とおっしゃるかもしれないけれどね。

 《10月29日、伊藤社長が退任し、自身は同日付でイトーヨーカ堂社長兼グループ代表に就任、セブン-イレブン・ジャパンでは社長から会長になった。イトーヨーカ堂は業務改革の効果と本業に徹する姿勢を貫く堅実経営で、利益率は業界平均をはるかに上回るなど、注目を集めていた》

ハワイのセブン-イレブン譲渡を祝うパーティーであいさつする =1990年1月

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反対押し切り銀行開業

 《コンビニエンスストア「セブン-イレブン」は順調に店舗数を伸ばし、平成11年度には8千店を突破した。この頃、店内にATM(現金自動預払機)の設置を検討し始めていた》

 セブン-イレブンでは昭和62年に公共料金の収納代行サービスを始め、順調に取扱高が伸びていった。銀行は当時も今も、窓口営業は平日午後3時まで。共稼ぎが普通になっていく時代に、一般家庭の誰がお金を銀行に預けに行くことができるのか。今のように休みを自由に取れない時代で、コンビニでお金の預け入れができれば便利だよ。

 《都銀4行やメーカーなどとATM共働運営会社構想を検討し、運営会社の設立を平成11年9月に公表した。その一方、日本債券信用銀行日債銀、現・あおぞら銀行)への出資をソフトバンクから持ち掛けられたことを機に、単独での銀行設立へ考えを変え、同年末には新銀行設立を公表した》

 決済専門の銀行で融資はしない。コンビニやスーパーにあるATMで、提携先の銀行口座に預け入れができるような形だ。手数料収入が収益の柱になる。

 銀行設立もね、まわりは総反対だったね。特に金融業界。メインバンクの頭取が訪ねて来られて「鈴木さんね、銀行なんてそう簡単にできるものじゃないですよ。失敗することを止めなかったこともメインバンクの責任になる」と話された。私は「ご忠告ありがとうございます」と言って帰っていただいた(笑)。

 《アイワイバンク銀行(現・セブン銀行)は13年5月に営業開始。3年目に収益の黒字化を達成した》

時代の背景や変化を考えたら、銀行をやる(開業する)ことは当たり前のことだよね。僕は遅すぎたと思っているけれど。そうだね、もう5年、考えようによっては10年前から考えなければならないことだったかもしれないね。

 《17年、持ち株会社セブン&アイ・ホールディングス(HD)を設立、グループを再編した》

イトーヨーカ堂とセブン-イレブン・ジャパンは親子関係だけれど、この頃には子会社の方が時価総額が大きく、資本のねじれの解消が必要だった。そこでデニーズと合わせてHD化に移行した。(業務の)合理化だね、規模が大きくなった。例えば広報なら、イトーヨーカ堂にもセブン-イレブン・ジャパンにも担当がいる。各社は事業に専念して、(外部への)広報はHDで一本化した。

 各社は各業態の中での生き方はあるが、大きくグループとして方針は1つでなければいけない。それぞれが一生懸命なんだけれど、右や左を向いているようにみえた。イトーヨーカドーもセブン-イレブンも食品を扱っているなら、商品仕入れなどで主なものはHDで一本化すれば(合理化には)いいよね。

 子供は成長するに従い、靴や服のサイズが変わっていく。企業経営も時代が変わる中で、常にその時代に合った方針を出していかないといけない。(過去の情報で判断する)ビッグデータに基づいた経営はありえないよ。

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《平成17年9月、イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパンなどを傘下に有する持ち株会社セブン&アイ・ホールディングス(HD)を発足させると、意外な話が飛び込んできた》

 百貨店のそごうと西武百貨店を傘下に持つミレニアムリテイリング社長の和田(繁明)さんからの話だった。和田さんとは西武百貨店再建中に講演を頼まれたことがあって、それ以来の付き合い。同じ流通業界の安定株主を求めているという内容で、それならうちに来ませんかと。このときは社内から反対意見は出なかったな。

 僕は西友西武百貨店を率いた堤(清二)さんは、本当に偉大な人だと思っている。西武百貨店はファッション部門が強く、(セゾングループは)文化的なことにも積極的だった。あれほどの人物はいないし、彼ほどの理解力を持っている人は少ないよ。第三者は何か失敗があると全てだめみたいに言う。惜しむらくは、僕が言うのが当たっているか分からないが、強いて言えば、金融に対して割と鈍感だったよね、財閥出身だったからなのかな。

 《同年12月26日、セブン&アイHDとミレニアムリテイリング経営統合を発表。スーパーと百貨店の垣根を越えた統合に流通業界再編との声が上がった》

 百貨店は目利きで商品を仕入れると言う人がいるけれど、経営は皆、同じだよね。昔の売り手市場では在庫を積み上げることに意義があったようだけれど、お客さまが自分で商品を選ぶ時代、買い手市場に変わったんだ。そういう時代だから、百貨店もスーパーも、客の側に立って物を考えればいい。(売り手は)変化対応だよ、世の中が変われば消費者心理も変わる。物を買う、買わないは心理で決定されるのだから。(百貨店立て直しが)難しいなんてことはない。

 《18年6月に経営統合を完了。その直後、プライベートブランド(PB)を求めるグループ企業の声を受けた。PB開発に当たっては条件を出した》

それまでのPBの定義は、メーカーの商品と比べて質はそれほど落とさずに安い物を、ということ。僕は、この時代は質の追求だ、PBを作るならデパート、スーパー、コンビニ全店で同じ価格で売るような商品でないとだめだ、と言った。猛反対されたよ(笑)。百貨店は「スーパー、コンビニと同じ商品を売るのか」、スーパーは「同じ価格で売るのか」と、自分たちのことばかり。お客さんのことを考えていないんだ。今のお客さんが価値を感じるものは、どこで買えてもいい。その時代の消費者がどのように小売り企業を扱ったかで「業態」という言葉が生まれたのに、業態論にとらわれているのはおかしい。

 《大手メーカーを口説き落とし、19年5月にPB商品「セブンプレミアム」が誕生。22年秋には「セブンプレミアムゴールド」を登場させた》

 自分たちで考えて作るのがPBで、他人のまねをするものじゃない。僕らは自分たちの威信にかけて、質の追求をするPBを目指した。今、グループ各社で売り場の坪面積当たり、PBを一番売っているのは西武池袋本店。当時の社長は猛反対していたのにね(笑)。

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《平成25年11月、セブン-イレブン・ジャパン創業40周年記念式典でのスピーチで、「流通革新の第2ステージに入る」とし、セブン&アイ・ホールディングスをあげて取り組む新構想を発表した》

 「オムニチャネル」構想ね。ネットとリアル(実店舗)の融合を、日本で一番初めにきちっとやろうと思った。だけどみんな、その意味が分からなかったみたいだ。僕もそんなに頭がいいわけではないけれども、時代に反するようなことをやってきてはいないと思うのよ、そんなに。今、ネットとリアルの融合は当たり前になったでしょ。この2、3年で。

 《目指したのはコンビニエンスストア、スーパー、百貨店、専門店などのグループ各社が取り扱う商品を、店舗網とインターネットを活用して販売する、新たなチャネル(流通経路)の構築だった》

 お客さまがどこにいても、どんな商品でも購入できることを目指した。例えば、近くに百貨店がなくても、ネット通販やセブン-イレブンの店頭で(百貨店の)商品が注文でき、自宅やセブン-イレブンの店頭でその商品を受け取ることができる。スーパーでも、売り場で欲しいと思う商品を見つけたら、スマートフォンをかざしてネット注文ができる。商品は宅配してもらったり、近くのセブン-イレブンの店を指定して受け取ったりできるようになる。

 今、ネット通販はいろいろあるけど、商品そのものは皆同じだ。セブン&アイHDが手掛けるからこそできる「ネット通販の質」を提供しようと考えた。10年以上考え、それをどこよりも早く、構想として打ち出した。

《仮説を立てデータをもとに検証することを繰り返しながら、地域を限定したり、グループ各社にさまざまなネット通販サービスを導入したりしていった。オムニチャネルの実現がグループの一体感だけでなく、日本の流通そのものを変えるという自信もあった》

 

常に時々刻々と変わっているじゃない? 僕は5年、10年先を見て、今何をすべきかを考えなさいとずっと言い続けている。(セブン&アイHDの経営者として)取材を受けていたときには、コンビニに設置したネット端末で注文できるようになるから、「自動車をコンビニで売る時代に入ったよ」と話していたんだ。

 《セブン&アイHD会長兼最高経営責任者を28年に退任した後、オムニチャネル構想は再検討され、軌道修正がなされた》

 それも一つの歴史だから。(自身が考えた構想と現状は)ちょっと違うかな。人間はね、どうしても目の前にあるものを見て評価したがる。それはしようがない。もう少し先を見てやればいいな、と期待しているんだけどね。(昨年7月のサービス開始直後、不正利用が発覚して停止に追い込まれたスマートフォン決済サービス)「7pay(セブンペイ)」、あれはなぜ始めたんだろうな。(セブン&アイHDの電子マネー)「nanaco」は(流通系では)どこよりも早く始めて、今も店舗での利用率は一番高い。あるものをもっと活用する方法を考えればよかったのに。

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