生きるは作業のつみかさね

作業をすれば元気になれる!作業療法ノススメ。

セブン&アイHD名誉顧問 鈴木敏文(すずきとしふみ)さん  産経新聞「話の肖像画」より⑫~⑮

 

《今やコンビニエンスストアでおにぎりを買うのは当たり前のことだ。しかしセブン-イレブンが開業した昭和40年代後半、様相は全く違っていた》

 「鈴木さん、あれはね。家庭で作るもので売る商品じゃないよ。だから無理だよ」。セブン-イレブンは開業当初、ファストフードとしてホットドッグを売っていた。品質が維持できない商品も出てしまうから、僕が「おにぎりをやれ」と言ったら、会社のメンバーから反対された。その理由が「売るものじゃない」。確かに発売当初は売れなかった。1日2、3個売れればよかった方で、それが常識。僕の言うことは非常識だったんだよ。でもね、考えてみると、日本人がおにぎりや弁当を食べる、つまりご飯を食べるのは当然のことだ。だから、「それがきちんと商品化できないはずはない」という理屈で説得した。

 《セブン-イレブンは51年におにぎりの開発に着手。53年にはフィルムでのりを挟み、食べるときにご飯に巻く、業界初の手巻きおにぎりを発表、人気を集めた》

 僕らは自分たちで全部、商品を考えて進めていった。大企業のメーカーもあるけれど、中小の、手作りでやってきたような地場メーカーと手を組んで商品開発をやったんだ。これは合理的な話ではないが、合理的に考える余地もなかった。

 何かやるといえば、合理性のことばかり言う人がいる。近代化というのは合理性を追求することだと思っているのでしょう。それは大きな間違いなんだ。今でも家庭で毎日ご飯を炊飯器で炊いているが、もしも合理性だけを考えたら、それをやめてまとめて炊いたご飯を配送すればいい。極端に言えば。

 

《おにぎりや弁当など、「デイリー商品」と呼ばれるカテゴリーはその後、コンビニの1日の売り上げを支え、競合との集客力の差を生み出す源泉となる》

 赤飯は本来、蒸し器でもち米を蒸して作る。最初に赤飯をやろうと言ったら、商品部が試作で持ってきたのは、もち米を炊いた豆入りご飯。「これは赤飯じゃない」と話したら、「大きな蒸し器がない」と言う。僕が「ないなら作ればいい」と言ってね。1年かけて蒸し器を作ったんだ。

 

《試食を重ね、了承された商品が店頭に並ぶ。毎日の昼食は商品の試食を兼ねてもいた。その商品開発で自身はさまざまな“逸話”を残している》

 そばも最初のセブン-イレブンのはおいしくなかった。僕は信州育ちだし、そば好きでもあるから、手打ちそばと同じ品質にしたかった。ただ、おそば屋さんの製麺方法にも手打ちと機械の2種類があって、繁盛店は手打ち。この手打ちに近づけたくて、そばの製麺機を改めて作った。

 また店頭に並べて販売中だったものの、撤去させたのが炒飯(チャーハン)。食べてみるとご飯を炒めたパラパラな感じがしなかった。それでプロの調理方法を研究し、ご飯を炒める工程の調理設備を1年以上かけて開発した。それは大変なことですよ、今になればね。僕がセブン-イレブンで当初から常に求めてきた基本は品質であって、合理性の追求は二の次、三の次だった。

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コンビニエンスストア「セブン-イレブン」を米国から持ち込んだ際、店頭に並べる商品の品ぞろえは参考にした》

 米国(のセブン-イレブン)で取り扱っていたこともあって、品ぞろえの一環として牛乳を始めたのだけれど、最初はそんなに売れなかったな。(商品をそろえるため)牛乳屋に買いに行って店頭に並べたんだ。当時はスーパーが盛んで、牛乳の安売りもしている。スーパーとの差別化のために、やれることは何か。こちらは住まいの近くで営業をしていて、何でもそろうという利便性を追求することだった。牛乳は配送面で大変だった。他の商品では、仕入れの最小単位を少なくして配送する小口配送をやったけれど、牛乳は日本初の共同配送になったから。

 《昭和55年に牛乳の共同配送が始まった。物流改革の象徴と呼ばれる》

 当時、メーカーは価格競争で自社の商品が値崩れしないよう、地域の中で特定の卸売業者と商品取り扱いの特約を結んでいた。特約店の卸売業者に対しては、そのメーカーと競合関係にある商品は取り扱わないよう、メーカーが働きかけていた。牛乳にも複数のメーカーがあるでしょう。各社それぞれの特約店から、それぞれの銘柄の牛乳が届く。そして時間帯が重なると、配送の車が何台も店の前に並ぶ。

 《牛乳以外の商品でも同じことが起き、店への配送車両は1日平均70台にも及んだ。この問題の解消に向けて、競合他社商品も合わせて運ぶ「共同配送」をメーカーに提案することになった》

 牛乳メーカーからの反発はすごかった。「他社の商品を一緒に運ぶなんてありえない」とか、「うちの商品だけ置けばいい」とも言われた。だから、各銘柄を見比べられるように陳列する実験をしてみると、どの銘柄も売れ行きが伸びた。共同輸送の利点を伝え、納得してやってもらった。

《店舗数が増え、電話と手作業で行ってきた商品発注に機械を導入してシステム化したのが53年。小口配送に卸売業者も対応しきれなくなり、合理化の一環だった。その後、小売業界では今や当たり前のPOS(販売時点情報管理)の全店導入を57年に始めた。マーケティングにPOSを活用した元祖となる》

 POSを活用したマーケティングを欧米から持ち込んだと考えている学者が今でもいるけど、それは違うよ。POSそのものは米国のどこの小売店でも導入はされていた。その使い道は、店員によるレジの打ち間違いや不正を防止するためだった。僕がPOSを導入した理由は、マーケティングに使いたかったからだ。

 開業当初、商品の販売状況をつかむため、創業メンバーが「正」の字を書きながら1品ずつ確認していた。それにより実際に売れている商品と売れていない商品、売れ筋と死に筋の存在が見えてきた。これを放置せず、販売機会ロス(損失)や廃棄ロスをいかに減らすか。これが単品管理という考え方だ。例えば、おにぎりは作り過ぎても足りなくても困るでしょう。POSはその店でいつ、どの商品が幾つ売れたか、販売動向が分かる。この情報を基に次に何が売れるかを考え、検証するためのシステムであって、単なる販売・在庫管理ではない。単品管理のためなんだ。

昭和57年秋、セブン-イレブンが店舗導入を開始したPOSシステム搭載のレジスター

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コンビニエンスストア「セブン-イレブン」の運営会社「セブン-イレブン・ジャパン」は設立6年となる昭和54年10月に東証2部上場を果たす。同年度の店舗数は800店超、売上高は1千億円を突破。自身は同社社長とイトーヨーカ堂常務を兼務していた》

 イトーヨーカ堂も1970年代(昭和45~54年)は順調だった。店舗数も100店を超え、売上高も10年間で26倍超の6900億円に達していた。56年2月期決算では経常利益は百貨店の三越を抜き、小売業1位を記録した。でもその半年後の56年8月中間決算で、経常利益は前年同期比1・7%減の減益となった。創業23年間で初の出来事で、商売をやっていて減益になるなんて考えられなかった。ところが、営業担当は天候不順や社会情勢(イラン革命に端を発した石油高騰)なんかを理由にしていた。天候なんて紀元前から変わり続けているもの、のんきだよね。

 僕としては、販売不振に思い当たる経験があった。ある日、家の近所にあったイトーヨーカドーの店に、自分のワイシャツを買いに行ったのだが、僕に合うサイズはなかった。店員に尋ねたら「そのサイズ、売れちゃうんですよね」と平然と答えてきた。昔はね、物のない時代だったから、例えば紳士のワイシャツで袖丈が長いモノしか手に入らなかったらアームバンドで袖を留めて長さを調整して着ていた。お客さんは目の前にある中から選ぶしかない、商品を選べない時代だ。でも時代は変わってきた。

 イトーヨーカドーでなぜ、サイズが欠けるようなことが起きていたのか。仕入れ先は大手メーカーなんだけれど、ワイシャツの色は13色あって、色ごとに、小柄な人向けから大柄な人向けまでの全てのサイズを1セットとして仕入れることになっていた。大量仕入れだ。そうして多くのサイズをそろえても、売れるサイズは首周り13インチとか14インチとか、平均的なサイズに限られてくる。だから僕のサイズはなかった。

このイトーヨーカ堂の状況は、売れ筋商品と死に筋商品を切り分けて、販売機会損失と在庫を減らす「単品管理」をしていないことを表している。つまり、お客さまが欲しいものがないから商品が売れ残って在庫を積みあげ、在庫処分のために値下げ販売で売り上げを立てて利益を圧縮している。そんなバカなことをまだやっているのかと驚いた。

 《社員から挙げられた改善策では根本解決にはつながらないと考え、経営会議でセブン-イレブンで導入していた単品管理をスーパーにも取り入れ、売上高至上主義から利益至上主義への転換を訴えた》

 それまでは販売量や売上高など量の時代で、そうではなくて、質の追求への転換だよね。僕のこの提案には「現場が分からないのに何を言っているのか」「あいつは理屈ばかり」とも言われた。

 オーナー(伊藤雅俊社長)は単品管理と不良在庫をなくせ、と声高に言う僕を見て、幹部を呼んで「あんなことを言っているが大丈夫か? 鈴木は営業を分かっていない。在庫をなくしてはだめだ」と心配していたらしい(笑)。了承はしてもらっていたけれどね。

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《イトーヨーカ堂は昭和56年8月中間決算で創業以来初の経常利益減益を喫したことを契機に、56年冬から“体質改善”に向けた準備をスタートさせた。57年2月にプロジェクトチームが発足、後に「業務改革委員会」と名称変更したことで「業革」と呼ばれる》

 業革でイトーヨーカ堂の業務を総点検してみたところ、大きくなった組織は複雑で、現場(店舗)までの情報伝達が遅くなっていることが見えてきた。例えば、本部などから各店舗に届く通達は1日200通以上にもなっていて、多すぎて現場では対応しきれない。結局、組織は漫然としたままだった。

 そこで全国約100店の店長を集めて会議を始めた。毎回100万円以上の費用がかかるが、本部と店舗のコミュニケーションの仕組みを変えたかった。店長会議は56年の年末から毎週行って、57年2月に組織改革と社員の3分の1以上に当たる約4500人の人事異動を行った。

 《組織改革と同時に発令したのが「死に筋捜しプロジェクト」だった》

 「売れ筋」商品を探すのではなく、「死に筋」を探すことが目的で、1つの商品の売れ行きと在庫を管理する単品管理を徹底した。イトーヨーカ堂にはPOS(販売時点情報管理)はまだ導入されていない。伝票と商品を手作業で照合して棚卸しする大変な作業だった。

 昔の商売は楽なもの。物のない時代だから、消費者は目の前にある中から選んで買わざるを得ない「売り手市場」だった。それが、物が大量にある時代になって、消費者はそこから選んで買うようになる。実権は売り手から買い手に移って「買い手市場」に変わった。

長年やってきた経験は通用しない。それは市場が変化したからだ。状況分析して対応していかなければならないし、単品管理で情報を集めて分析するしかない。このころから僕は「単品管理」という言葉と、「変化対応」という言葉を使うようになった。変化をみて、それに対応しろ、ということなんだけどね。

《売れ筋商品の品切れ率が高く、年間1200億円の販売機会損失があった。商品のアイテム数を絞り込む実験も行った。仮説と検証、データ主義の本領を発揮した》

 ワイシャツは単品管理で好調な4柄に絞り込んだ。メーカーは反対したが、店頭での販売実験で売り上げは落ちないと証明された。売り場は柄とサイズの違いで1千アイテムあったのが300アイテムに削減できた。

 《業革2年目、58年8月中間決算で経常利益も対前年同期比1・5倍とプラスに転じた》

 消費税導入もあったがずっと増益で、営業利益は平成5年2月期に839億円。ダイエージャスコといった競合5社を足してもイトーヨーカ堂1社の方が高いという状況になった。

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