2人に1人ががんになる時代。
心のよりどころが求められている。
「臨床の現場は、患者に病状や治療方法を説明するので手いっぱい。
一方、患者側はどのようにがんと向き合いながら生きていけばいいのか分からない。対話を通じて現場と患者の間にある『隙間』を埋める存在。それががん哲学外来の役割」
がん哲学外来の樋野興夫さんは語る。
下記にがん哲学外来についてまとめたい。
がん哲学外来とは
19年に施行されたがん対策基本法により、全国のがん拠点病院にがん相談の窓口が相次いで設置された。
しかし、治療や生活支援などに関する情報提供や、傾聴に終始する窓口の対応では、「病を抱えながらどう生きたらいいのか」など死を意識せざるを得ないがん患者の悩みを解消するのは難しかった。
樋野教授の提案で試験的に3カ月限定でがん哲学外来を開設。無料の個別面談方式で、患者らと語り合ったところ、予約が殺到した。患者らが参加しやすいように喫茶店などに場所を移したのがカフェ方式へと発展した。
「臨床の現場は、患者に病状や治療方法を説明するので手いっぱい。一方、患者側はどのようにがんと向き合いながら生きていけばいいのか分からない。対話を通じて現場と患者の間にある『隙間』を埋める存在。それががん哲学外来の役割」
25年には、樋野教授が理事長となり一般社団法人を立ち上げた。趣旨に賛同した全国の医師や看護師が中心となり、患者同士や医療関係者が語り合えるカフェ方式のがん哲学外来を主催。各地の病院や教会などを拠点に活動を広げ、北海道から九州まで全国80カ所に上る。
多くの人は、自分自身または家族など身近な人ががんにかかったときに初めて死というものを意識し、それと同時に、自分がこれまでいかに生きてきたか、これからどう生きるべきか、死ぬまでに何をなすべきかを真剣に考えます。一方、医療現場は患者の治療をすることに手いっぱいで、患者やその家族の精神的苦痛まで軽減させることはできないのが現状です。
そういった医療現場と患者の間にある“隙間”を埋めるべく、「がん哲学外来」が生まれました。科学としてのがんを学びながら、がんに哲学的な思考を取り入れていくという立場です。そこで、隙間を埋めるために、病院や医療機関のみならず、集まりやすい場所で、立場を越えて集う交流の場をつくることから活動を始めました。
中略
「がんであっても尊厳をもって人生を生き切ることのできる社会」の実現を目指し、より多くのがん患者が、垣根を越えた様々な方との対話により、「病気であっても、病人ではない」という、安心した人生を送れるように、私たちは寄り添っていきたいと思っています。
ドキュメンタリー映画「がんと生きる言葉の処方箋」
http://www.gantetsugaku.org/img/movie_nozawa.pdf
マンガ「日向ぼっこ」
対話を通じて生きる力を
「家族には心配をかけたくないから、弱音や泣き言は言いたくない。でも、この場所では他人であるからこそ、率直な気持ちをはき出せる。参加し続けているうちに、自分の気持ちを整理できるようになった」
胃がんのステージ5と診断され、胃の3分の2を切除したという薬剤師の男性(54)はこの日、夫婦で初めてカフェに参加した。
テーブルでは、自身の病状を家族にどのように伝えるかということについて話し合った。男性には大学生の一人娘がいるが、「ありのままを全て話した」という。一方、同じテーブルの楠さんは「診断当初は2人の子供に伝えることを躊躇(ちゅうちょ)した」。
終了後、男性は「がん哲学外来について書かれた本を読み感銘を受けて参加した。自分と同じように闘病していても、いろいろな考えがあることが分かった。対話を通して自分のことについても考えさせられた」と話した。
カフェでは、参加者全員ががんを通して「死ぬこと」を意識している。
その一方で、「生きること」に真摯に向き合ってもいる。悲壮感はなく、終始、穏やかな空気が流れ、時折、笑い声も起きる。
対話は1時間ほど。治療法に関する情報交換や、インターネット上に氾濫するがん情報の真偽の見極め方なども話題に上る。
カフェを運営する精神科の専門看護師は恩師の精神科医をがんで失った。さいたま市に先駆けてカフェができた宇都宮市に1年間通い詰め、開催の準備を進めた。
「ここでは死をタブー視しない。対話をきっかけに死の恐怖や悲しみの原因を自問すると、後に残す家族の行く末や、自分がやり残したことに思いが至る。気持ちを整理することで、今できることに真摯に向き合えるのではないでしょうか」
とカフェの意義を説明する。
がん患者同士が語り合う場所としては「患者会」もある。しかし、同じ部位のがんでも症状や経過は個人によって異なり、治療法などに関する情報格差も大きいため、参加に尻込みする患者も少なくない。一方、がん哲学外来は、患者だけでなく、家族やがんについて考える人なら誰でも“主役”として参加できることが特徴だ。