生きるは作業のつみかさね

作業をすれば元気になれる!作業療法ノススメ。

どう生きるかを最優先。ジャーナリスト竹田圭吾さん。(産経新聞より)

ジャーナリストの竹田圭吾さんが今年1月10日、51歳の若さで膵臓(すいぞう)がんのためこの世を去った。亡くなる1週間前まで番組に出演し、仕事にこだわり続けた。2年半の闘病生活を支えた妻の裕子さん(52)は、最期の瞬間まで夫を見守った。

 

 

すい臓がん

 体調の異変を感じたのは平成25年9月。選挙取材でドイツを訪れたときでした。感じたことのない腹痛があったそうです。ただ、痛みは一過性だったため、深刻に考えずに取材を続けていました。

ところが帰国後、白目が黄色くなっていました。「念のため」と検査を受けた病院で、「膵臓がん」の可能性が高いことを宣告され、即入院。詳しい検査の結果、ステージIIIでした。「人間ドックを受けていたのになぜ…」とショックを受けているようでした。

 

膵臓がんは初期に自覚症状がなく、診断時には進行していることが多い。このため、他臓器に転移している場合などは手術が難しい。5年生存率は約20%といわれる〉

膵臓がんとは

膵臓にできるがんのうち90%以上は、膵管の細胞にできます。
これを膵管がんといい、膵臓がんとは、通常この膵管がんのことを指します。

このほかに、神経内分泌腫瘍、膵管内乳頭粘液性腫瘍などがあります。

    

症状

膵臓は、胃の後ろの体の深部に位置していることから、がんが発生しても症状が出にくく、早期の発見は簡単ではありません(図2)。
図2 膵臓と胃の位置関係
図2 膵臓と胃の位置関係の図
膵臓がんの初期には症状は出にくく、進行してくると、腹痛、食欲不振、腹部膨満感(すぐにお腹がいっぱいになる)、黄疸(おうだん)、腰や背中の痛みなどを発症します。その他、糖尿病を発症することもあります。
ただし、これらの症状は、膵臓がん以外の理由でも起こることがあり、膵臓がんであっても、症状が起こらないことがあります。

膵臓がん 基礎知識:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

 

あまり感情を表に出さない人でしたが、検査を受けるたび、「悪い結果だったらどうしよう」と不安そうでした。私は、「負けないよ、大丈夫」と声をかけ続けました。

腫瘍の位置や年齢の若さなどから、手術を受けることになりました。ただ、主人のがんは子供たちには知らせませんでした。「内臓に腫瘍ができて、手術をする」とだけ主人の口から伝えました。

術後は順調で、2週間ほどで退院しましたが、体重は10キロ以上落ち、身長183センチで60キロ台でした。

 

 

退院後は「ゆっくりしてね」と話していたのに、2カ月後には「そろそろ仕事をしたい」と言い出しました。入院中は弱気になっていましたが、決意は固く、送り出すしかありませんでした。

退院から3カ月後の26年2月、5カ月ぶりにテレビの報道番組に復帰。痩せた姿を心配する声もありましたが、病名は公表しませんでした。世間を騒がせるのが嫌だったのと、子供たちに心配をかけたくなかったからです。

再発のリスクが高いとされる術後半年を乗り切ったところで再発が判明。今度は抗がん剤治療を始めました。

しばらくは、抗がん剤治療を受けながら仕事を続けることができました。「仕事が治療になる」と励みにしていました。3カ月ごとにCT(コンピューター断層撮影)検査をし、がんが大きくなれば別の薬を試しました。

 

がんは自分の体の一部。なんとか折り合いを見つけていきたい 

副作用で髪が抜け、薄毛が目立つようになった27年9月、がんを告白。かつらをかぶることも宣言しました。同じ病気の方から「勇気をもらった」という反応が多く、喜んでいました。

主人はこのころから「がんは自分の体の一部。なんとか折り合いを見つけていきたい」と言うようになりました。当時のメモにはこう書かれていました。

「人生の残り時間を逆に気にしなくなった。いつ死んでもおかしくないのだから、気にしても仕方がない。その代わり、いつ死んでも大丈夫なよう準備はしておく。一日一日をどう生きるかを最優先に大切にするようになった」

 

最後の出演となったラジオ番組の収録は壮絶でした。

会話もままならず、行けるような状態ではありませんでしたが、「何が何でも行く」と。タクシーに乗せ、車いすで現場まで連れていきました。収録直前まで机に突っ伏してしまうような状況でとても不安でした。ところが、始まったとたんにとてもはきはきと話し始めたのです。周りのスタッフの方も、驚いていました。仕事に対する責任感を痛切に感じました。

帰宅後は自力で水も飲めない状態になり、救急車で搬送され入院。6日目の朝、眠っている主人の呼吸の回数が減っていきました。手を握っていた長男が泣くと、手を握り返し、そのまま逝きました。

 主人が亡くなり、悲しさの半面、子供たちの成長を感じることもあります。長男は「あっという間に亡くなったお父さんが、身をもって『今できることをする大切さ』を教えてくれた」と言います。長女も、「たくさんのことを教えてくれたから大丈夫」と励ましてくれます。

子供たちはきちんとお父さんの思いを感じ取っている。そう思っています。

 

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【プロフィル】竹田裕子(たけだ・ゆうこ) 昭和38年、東京都生まれ。

62年に関西学院大文学部を卒業後、出版社「タッチダウン」に入社、観戦が趣味だったアメリカンフットボールの専門誌「タッチダウン」の広告・事業部で勤務。

平成4年、同期入社の竹田圭吾さんと結婚したのを機に家庭に入る。

4月から大学4年の長女(21)と高校3年の長男(17)と3人暮らし。