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【多発性骨髄腫】がん闘病の日々を漫画で表現。

多発性骨髄腫で平成25年7月に55歳で亡くなったロックバンド「ザ・グッバイ」のベーシスト、加賀八郎さん。

妻で少女漫画家の池沢理美さん(53)は、約3年にわたる夫婦での闘病生活を描いたエッセー漫画を漫画雑誌に連載中だ。

痛みと闘う夫を支える生活を「残酷だが幸せだった」と振り返る。

 

最初はよくある症状

夫が多発性骨髄腫と診断されたのは平成22年7月。

はっきりした症状が出たのは5月で、犬を抱っこしたときにぎっくり腰になったんです。その後、鼻血や下痢、物忘れ、手足のしびれなどのさまざまな症状に見舞われました。

症状ごとに複数の診療科を受診し、鼻血は鼻の奥の傷、下痢はウイルス性胃腸炎が原因などと言われました。変だなと思いながらも、「たいした病気じゃなくてよかった」と安心してました。

ところが、物忘れがひどくなって脳神経科を受診したとき、念のためにと受けた血液検査でヘモグロビンの値が極端に少なかったんです。

血液の病気の可能性が高いということで、血液内科のある日本赤十字社医療センター(東京都渋谷区)に救急搬送されました。

精密検査をした後、お医者さんに私だけが呼ばれ、「多発性骨髄腫です」と宣告されました。説明を聞く一方で「まさか」という思いがぐるぐる回っていました。

多発性骨髄腫

〈多発性骨髄腫は、血液細胞の一つである「形質細胞」のがん。貧血や腰痛、骨折、腎臓の機能低下、感染症などさまざまな症状が表れる〉

1.多発性骨髄腫とは

血液中には酸素を運搬する赤血球、出血を止める働きがある血小板、免疫をつかさどる白血球リンパ球などの血液細胞があります。これらはそれぞれ体を守るために大切な役割をもっており、造血幹細胞(ぞうけつかんさいぼう)と呼ばれる細胞から、それぞれの形態・機能をもつ血液細胞に成熟していきます。この過程を分化といいます(図1)。
図1 造血幹細胞から血液細胞への分化
図1 造血幹細胞から血液細胞への分化の図
多発性骨髄腫(MM:Multiple Myeloma)は、これら血液細胞の1つである「形質細胞(けいしつさいぼう)」のがんです。形質細胞は、骨髄と呼ばれる「血液の工場」でつくられる血液細胞のうち、白血球の一種であるB細胞から分かれてできる細胞です。この細胞は、体内に侵入した細菌やウイルスなどの異物から体を守ってくれる「抗体」をつくる働きをもっています。この形質細胞ががん化して骨髄腫細胞になり、多発性骨髄腫を発症します。骨髄腫細胞は骨髄の中で増加し、異物を攻撃する能力がなく、役に立たない抗体(これをMタンパクと呼びます)をつくり続けます。これらの骨髄腫細胞やMタンパクが、さまざまな症状を引き起こします。

多発性骨髄腫 基礎知識:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

 

透析や骨折ときついことの連続

 

腎臓の機能が低下していたので、すぐに人工透析が必要となり、52日間入院しました。退院後も週3回の透析と週1回の化学療法などで週4、5日の通院が必要でした。

 

透析に通うのは大変でしたが、東京都の場合、助成があるので医療費は無料でした。また、身体障害者1級となったので障害者年金も出ました。このころ私はスランプで漫画が描けず、貯金を取り崩しての生活だったので、助かりました。

 

腎不全になると、タンパク質や塩分、水分を制限するよう言われます。夫は尿が出ていたので水分制限はなかったのですが、タンパク質と塩分の量を考えながら食事を作るのはちょっと大変でした。

 

また、骨が非常にもろくなるので、歩くときの体重のかけ方にも注意するように言われました。骨を強くする薬があるのですが、腎不全がある場合は使えません。夫も使えず、しょっちゅう骨折していました。背骨がつぶれて変形する圧迫骨折で動けなくなると入院です。

 

この病気には、「骨痛」という骨が痛くなる症状もあって、毎日が痛みとの闘いでした。痛いのは夫ですが、私もつらかった。痛み止めの薬を服用していましたが、副作用で全然食べられなくなってしまいました。身長167センチで体重53キロともともと細身でしたが、どんどんやせて37キロにまで減りました。

 

体力維持のため、お医者さんから「食べられる物を食べなさい」と言われ、食事制限はなくなりました。痛み止めの薬を変えたところ、食欲も回復しました。

 

治療について

また、抗がん剤サリドマイドがよく効き、治療の効果の目安となる免疫グロブリンG値も少しずつよくなっていきました。「死なねえぞ。生きていくぞ」と気力も満々で、2年半後にはライブを開くことができました。

 

ただ、同じ抗がん剤を使い続けると、がん細胞が薬に耐性を持って、やがて効かなくなってきます。夫もライブを境に、数値が少しずつ悪くなっていきました。別の抗がん剤を併用してみようとしていた矢先、ひどい圧迫骨折となり入院。肺炎などを併発、透析もできなくなり1カ月後に亡くなりました。

 

この病気に有効な新薬はどんどん出てきています。だから、1つの薬が効かなくなっても、別の薬をうまくつなげれば、それだけ生きられるんです。ただ、専門医でなければ情報に追いつけないこともあります。患者や家族が自ら情報を集めて「こういう薬があるようです」と医師に働きかけることも大切だと思います。

 

闘病の3年間は、残酷でしたが、幸せな日々でした。体調のいいときは、車いすで近くのお店に行き、「2人でいるときが一番楽しいね」と話していました。夫婦の絆が強まり、より濃密な時間を過ごせたように思います。夫は「君より早くは死ねない」と言っていたのに、あまりにも早く逝ってしまった。いつも心の中で「ウソついたね」と文句を言っています。

 

 

【プロフィル】池沢理美

 いけざわ・さとみ 昭和37年、東京都生まれ。日大芸術学部卒。59年に「ガラスの波にささやいて」でデビュー。平成12年、「ぐるぐるポンちゃん」で第24回講談社漫画賞受賞。漫画雑誌「BE・LOVE(ビーラブ)」に、夫、加賀八郎さんとの闘病生活を描いたエッセー漫画「はっちゃん、またね-多発性骨髄腫とともに生きた夫婦の1092日」を連載中。

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