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【摂食障害】プロスケーター鈴木明子さんの経験。(産経新聞)

フィギュアスケート女子シングルの選手として活躍したプロスケーターの鈴木明子さん。ジュニア時代から注目の選手だったが、大学進学後に摂食障害になり、身長160センチで48キロあった体重は一時、32キロにまで落ちた。スケートを生きる目標に病気を乗り越え、2度の五輪出場を果たした。「滑れる幸せ」がスケート人生の支えになっている。

 

 

食事が怖くなった


東北福祉大学に進学したのを機に愛知県豊橋市の実家を離れ、仙台市長久保裕コーチの家に下宿をしました。20歳のときに迎えるトリノ五輪を目指していました。
フィギュアスケートは体重が重くなると、動きが悪くなり、足への負担も大きくなる。体重管理のため食事制限していたつもりが、だんだん食べられなくなりました。48キロだった体重は1カ月後には40キロに。食事が怖くなってしまったんです。5月には実家に帰り、病院の精神科で摂食障害の診断を受けました。

 

摂食障害は、「太りたくない」という極端なこだわりや「太っている自分には価値がない」という思い込みなど心理的な要因で起こる〉

 

※知ることから始めよう

みんなのメンタルヘルス厚生労働省) 

病的な拒食・過食がありますか?
食行動の異常は、食事をとりたがらない「拒食」、逆に極端に大量の食物をとる「過食」に大別できます。
少しくらいの拒食や過食は、多くの人が経験するものです。失恋をして食欲がなくなったり、ストレス解消につい食べ過ぎる、という経験をした人は少なくないと思われます。 ところが、こうした食行動の異常が過度になって、極端に体重が減少しても拒食がやめられない、過食の後に食べたものを全部吐いたり下剤や利尿剤を使って体重増加を避けようとする、という行為がみられるようになると、これは治療を要する摂食障害の疑いが濃くなります。

 

拒食・過食の背景にある心の傷
こうした極端な摂食行動の異常が現れるのは、背景に「太りたくない、やせたい」という体重への極端なこだわりや、「自分は太っている・醜い→自分には価値がない」という思いこみなどの心理的背景があります。また、とくに若い女性の場合は、「やせていることが美しい」という社会的価値観も影響します。また、子どもの頃に両親の仲が悪かった、親や周囲の人間から体重や体型のことをみっともないと言われた、という経験も摂食障害のひきがねになります。

 

10代には拒食症、20代には過食症が多い
拒食症は10代で発症する人が多く、過食症は20代に多い傾向があります。両タイプとも90%が女性です。ただし、最近は男性の摂食障害も増えているという指摘もあります。拒食と過食は正反対の症状に見えますが、拒食から過食へ、過食から拒食へと変わることもよくあります。

 

生命の危険もある深刻な病気です
摂食障害は、ダイエットの失敗というような単純なものではなく、ほうっておくとこころも体も病み疲れて、死に至ることもあります。とくに拒食症の場合、標準体重の60%以下にやせが進むと、低栄養による腎不全や低血糖電解質異常による不整脈結核などの感染症など、重い合併症を起こしやすくなります。 また、両タイプとも、アルコールや薬物への依存や抑うつ、怒りっぽい、人格障害などの精神疾患を合併しやすく、万引きや性的に奔放になる、自傷行為や自殺を図るなど衝動的な行動が多くなります。

www.mhlw.go.jp

 

 

 

母親の料理を食べられなかった


当初は自分が病気だとは受け入れられませんでした。

「コントロールできていないだけ」と思うようにしていたのです。

当時、両親は和食の料理店を経営。「食べる」のは人として基本的なことなのに、母が作った食事に手が付けられない。親不孝だと悲しく思いました。

母からも「エネルギーのあるものを食べなさい」と言われ、脅迫のように感じていました。

8月には体重が32キロにまで減りました。疲れやすく、脂肪がないのでいつも寒気を感じていました。

 

スケート競技にも大きく影響した

スケートの練習もできず、焦りが募りました。

シニア初のグランプリシリーズになるはずだったスケートカナダも辞退するしかありませんでした。

 

回復のきっかけ

体重は一向に増えず、医師からは「30キロまで落ちたら入院しかない」

入院を拒む私の姿に母は、「この子から、生きる目標を奪ってはいけない」と思ったようでした。

「まず、食べられるものから、食べよう」と言ってくれました。食事を取るという普通の生活ができず、劣等感と自己嫌悪しかなかった私を母が受け入れてくれた。これが回復のきっかけになりました。
 

少しずつ食欲が出て、10月には仙台に戻ると、長久保先生が「絶対にできる」と励ましてくれました。病院で栄養指導を受け、11月頃に氷の上に戻りました。
 

その年が明け、学生選手権に出場しましたが、久しぶりの試合で怖くなり、母に電話をしました。すると、「氷の上に立てることに感謝して滑ったらいいんじゃない」。

五輪など緊張する大舞台でも「滑れるだけで本当に幸せ」と思って演技できたのは、このときの母の言葉があったからです。

 

摂食障害であることを公表する

数カ月後、ファンの方のホームページを通じて摂食障害を明かしました。やせた姿から「病気じゃないのか」などと噂が流れていたので、きちんと説明したかったんです。

 

大学2年のとき、摂食障害の原因が母との関係にあると医師に言われました。私は一人娘で母から厳しく育てられた。

スケートの練習でも「歩くのが遅い」「準備が遅い」と叱られ、褒められたことがありませんでした。

「母の理想の娘に近づきたい」という思いが、プレッシャーになっていたのだと思います。

 

完璧主義、周囲に甘えることができなかった

摂食障害を経験して、私も母も変わりました。私は完璧主義の所があり、周囲に甘えることができませんでした。

でも、今はいい意味で「適当でいい」と思えるようになりました。

目指していたトリノ五輪出場は逃しましたが、その後、2度五輪の舞台を踏むことができました。

ちょっと遠回りをしたけれども、目の前のことに一生懸命に取り組んできた結果だと思っています。

 

自分の経験が励みになればうれしい

一部のファンの方に報告したつもりでしたが、「摂食障害からの復帰」とメディアに大きく取り上げられることに戸惑いもありました。

でも、私が病気を克服し、元気になった姿に勇気づけられたという手紙もたくさん頂きました。私の経験を通して、誰かが救われるのならばよかったのかな、と今は感じています。

 


〈すずき・あきこ〉昭和60年、愛知県生まれ。6歳でフィギュアスケートを始める。15歳で出場した女子フィギュアスケート全日本選手権で4位。平成15年、東北福祉大入学直後に摂食障害になり、16年に復帰。2010年のバンクーバー五輪8位。2014年のソチ五輪8位。同年の世界選手権後に引退、現在はプロスケーターとして活躍。

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