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【黄斑変性症】人生はなるようになる。戸田奈津子さん(産経新聞より)

映画字幕翻訳者の戸田奈津子さん(78)の左目は約20年前、目の網膜の機能が低下する「黄斑変性」と診断された。当時は根本的な治療法がなく、長期にわたり視界の悪さに苦しんできた。最近、新たな治療法が開発され、昨年末に手術を受けた。視力は回復しつつあるといい、「目が見える喜びはすばらしい。治療法があることを多くの人に知ってほしい」と話す。

産経新聞より

www.sankei.com

 

 

目を酷使してきた

もともと強度の近視で、中学1年の頃からメガネをかけていました。両親も近視だったので遺伝でしょうね。私は映画や読書、芝居の観劇など目を使うことが好き。年間50本以上の字幕翻訳を手掛けていた時期もあります。目を酷使してきた人生でした。

最初に異変に気付いたのは20年ほど前。障子の桟やグラフ用紙の線がゆがんで見えたんです。おかしいと思って、都内の病院を受診しました。強度の近視が原因の黄斑変性と診断されました。

 

〈黄斑は網膜にあり、物の形や色など視覚情報の大半を脳に伝達している。黄斑変性は加齢や強度の近視などの理由で黄斑に障害が生じ、視界が欠損したり、ゆがんだりして見える病気。戸田さんは強度の近視が原因〉

 

4.加齢黄斑変性は 早期発見が重要です | 知っておきたい加齢黄斑変性―治療と予防― | 目についての健康情報 | 公益社団法人 日本眼科医会

 

www.santen.co.jp

 

 

治療法がなくがくぜんとした

「治療法がない」と医師から告げられ、「もう一生だめなんだ」とがくぜんとしました。ショックを和らげるため、母と2人で熱海(静岡県)の温泉に行きました。すると、心が落ち着いてきて、「目が2つあってよかった。右目が残ってラッキーだ」って思えるようになりました。もともとクヨクヨしない性格なんです。

セカンドオピニオンを求めていたときに、目の手術を受けたことのある、友人でタレントのピーコから芸能人や政治家が通うことで有名な神奈川県小田原市の佐伯眼科クリニックを紹介してもらいました。平成8年に受診し、月に1度通院するようになりました。「右目まで見えなくなったらどうしよう」。そんな思いでした。

幸い右目の症状は進まなかったのですが、左目は徐々に視界の真ん中が見えなくなってきました。例えば、誰かと話しているときに、周囲の景色は見えているけれども、相手の顔が見えないのです。

 

常に左目に眼帯をかけているような状態で、原稿を書くのも、テレビを見るのも、本を読むのも不自由でした。距離感が測れず、階段の段差が怖くなりました。

当時は、映画字幕の翻訳の仕事のほか、ハリウッドスターが来日した際の通訳を務めるなど多忙でした。病気については、ごく親しい人に打ち明けただけでした。心配をさせるだけですからね。

 

新しい治療法

病気と長い間、つきあってきましたが、昨秋、佐伯眼科クリニックの佐伯宏三院長から、黄斑前膜をはがし、網膜分離症を治す手術の話をいただきました。新しい治療法が開発されたとのことでした。

昨年12月1日に佐伯院長と横浜市立大学医学部の門之園一明教授による手術を受けました。「駄目でもともと」という気持ちでした。

〈戸田さんが受けたのは、低侵襲硝子体手術。細い器具を眼球に入れ、黄斑上にできた増殖膜を切除する手術を受けた〉

術後の経過は良好で、「視力が戻りつつあるな」と感じます。見えていた頃の7割まで回復したと思います。治ったら大好きなドライブ旅行に行きたいですね。

 

iPS細胞も治療の選択肢

現在、加齢黄斑変性の患者に人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使って網膜を再生させる臨床研究が行われており、注目を集めています。しかし、この病気について知っている人はまだまだ少ないと思います。私は、左目を捨てたつもりで右目に感謝して過ごしていたら、新しい治療法に出合いました。

京都大学IPS細胞研究所

http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/170316-060000.html

 

iPS細胞

人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)のこと。

体細胞に特定因子(初期化因子)を導入することにより樹立される、ES細胞に類似した多能性幹細胞。

山中伸弥教授(京都大学)らが、世界で初めて2006年にマウスiPS細胞、2007年にヒトiPS細胞の樹立に成功した。

 

 

病気になったときは、気持ちで負けたらだめです。目が悪いという理由で、これまであきらめたことはスキューバダイビング以外にはありませんでしたね。「人生はなるようになる」。戻ってきた左目の視力に感謝しつつ、これからも楽しく、人生を過ごしていこうと思います。

 

 

【プロフィル】戸田奈津子

 とだ・なつこ 昭和11年、東京都生まれ。津田塾大卒業後、生命保険会社の秘書を経て映画字幕翻訳者の清水俊二氏に師事。通訳や翻訳の仕事に携わる。米映画監督、フランシス・フォード・コッポラの推薦で映画「地獄の黙示録」(1979年)の翻訳を手がけたのを機に映画字幕翻訳者として本格的に活動。1500本以上を翻訳している。