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【うつ病】休むことも生きること。丸岡いずみさんのうつ病の経験より。

日本テレビのニュースキャスター、丸岡いずみさんは東日本大震災の取材を引き金に鬱病を発症した。地方局のアナウンサーからキー局の記者、キャスターに転身し、走り続けてきた丸岡さん。鬱病を経験したことで「休むことも生きること」と知った。 

産経新聞より

www.sankei.com

 

 

異変の気付き(不眠・食欲低下・下痢)

最初に異変に気づいたのは平成23年7月でした。

眠れなかったり、食欲がなかったりした日が続きました。「疲れているし、体調不良かな」と思った。当時は夕方のニュース番組「news every.」のキャスター。震災の取材も定期的に続け、休むことは考えられなかった。

体調はどんどん悪化しました。

下痢が続き、一睡もできない日が続きました。

 

簡単な文字も読めなくなった

そして8月29日、民主党代表選挙の日。

今まで感じたことのない不安を覚えながら会場のホテルで取材し、番組に出演しました。普段ならすらすら読める文字でも自信がなく、山や川など簡単な文字にもルビを振りました。

放送中、「これが終わったらもう無理だ」と思いました。限界だった。

 

休暇をとり自宅に帰郷

放送後、上司に休みが欲しいと訴え、翌日には故郷・徳島の実家に帰りました。

実家に戻ったものの週刊誌の記者から取材攻勢を受け、いとこが勤務する病院に入院する形でかくまってもらいました。そこから精神科のある病院に通いました。

診断は鬱病でも、受け入れられませんでした。

うつ病への偏見・無知があった

医療の取材をする機会も多く、鬱病の知識はありました。先生からは「脳の病気だから」と説明を受けましたが、鬱病は精神的に弱い人がなる」という偏見があった。「自分がなるはずがない」と思っていました。

処方薬もほとんど飲みませんでした。もともと健康優良児で薬への抵抗感がありました。

「人格が変わるかも」という間違った認識に縛られていたのです。

入院から2カ月ほどたった11月に退院し、帰宅。

しかし、体調は悪化の一途でした。「死にたい」と思ったり、被害妄想にかられたりしました。結局、過換気症候群となり、再び入院することになりました。治療に向き合ったのはそれからです。

 

服薬して落ち着いた

私は薬が効きやすいタイプだったようで、2週間で体調不良も改善され、気分も晴れていきました。「もっと早く薬を飲めば良かった」と思いました。

薬が効いたことで、「鬱病は脳の病気」と認めることができるようになりました。

鬱病だと受け入れられました。

みそかに仮退院し、年が明け、1月7日には退院することができました。

 

精神疾患に理解のある家族に救われた

両親が精神疾患に対する理解があったことにも助けられました。

「やりたいことはやればいいし、やらなくていいことはしなくていい」という言葉に救われました。

夫(映画コメンテーターの有村昆さん)とは交際前でしたが、実家に戻っている間も連絡を取り合いました。

鬱病だと電話で告白したら、「誰でもなる病気だよ」と、意外な言葉が返ってきました。そんな考え方をする人もいるのだと、ほっとしました。

「大変なのは分かっているから返事はいらない」というメールも支えになりました。孤独感が募っていた時期に「1人じゃない」と思えました。

 

「休むことも生きること」

父が言ってくれた「休むことも生きること」という言葉は心に残りました。休むと生きている感じがしないという人もいますが、休むのも大事なこと。鬱病の症状は人それぞれですが、休む環境をつくってほしいと思います。

 

うつ病の「引き金」

鬱病の引き金は東日本大震災の取材です。

発生直後に岩手県陸前高田市を取材した際、水を飲んで紫色に膨らんだご遺体をたくさん目にしました。当時、現場は戦場で、1千年に1度といわれる現場を前に休める状況ではありませんでした。

しかし、その後、密着取材した陸前高田市仮設住宅の方から、鬱病で休んでいるときに「がんばって」という色紙をいただきました。「被災地の方々も十分大変なのに気遣ってくれている」と、すごく励まされました。

就職してからは仕事が充実しており、高速道路をハイスピードで走っているような生き方でした。今は結婚して、「主婦、ときどき仕事」という生活です。一般道を景色を見ながら、ゆっくり自分のペースで走っている感じです。

鬱病は、自分の人生を振り返る良い機会になったと思っています。

 

 

【プロフィル】丸岡いずみ

 まるおか・いずみ 昭和46年、徳島県生まれ。関西学院大卒業後、北海道文化放送でアナウンサーとして活躍。フリーキャスターを経て、平成13年に日本テレビ入社。報道局で記者として、警視庁などを担当。「情報ライブミヤネ屋」「news every.」のキャスターも務めた。24年9月に日本テレビ退社。

著書に『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』(主婦と生活社)。