15~39歳頃までの思春期と若年成人(Adolescent and YoungAdult)を指すAYA世代。この世代のがん患者には進学、就職、結婚など中高年とは違った課題が存在する。
17歳で血液のがんである「急性リンパ性白血病」と診断された千葉県の小林聖(せい)さん(19)は、厳しい治療に向き合うなかで「教師になる」という新たな夢を見つけた。2度目の高校3年生を終え、この春、大学に進学する。
AYA世代のがん患者が抱える問題と対策
上記より引用。
小児期と成人期の間にあたるAYA世代の患者さんは、さまざまな問題を抱えています。例えば、病気の治療が生殖機能に及ぼす影響。
・晩期合併症。
・通勤や通学に及ぼす影響。
・思春期という多感な時期に病気に罹患することによるさまざまな精神的ストレス。
・将来への不安などです。
これらの問題を可能な限り解決し、それぞれの患者さんのニーズに応じた医療を提供するため、当センターでは院内の連携(サポーティブケアチーム)に加え、院外にネットワークを形成し(外来診療ネットワーク、妊孕性温存ネットワーク、緩和医療ネットワーク)、積極的に取り組んでいます。
AYA世代の患者さんを取り巻くさまざまな問題
精神的なストレス | 病気や治療への不安、入院のストレス、治療の副作用によるストレス、 外見の変化(脱毛や色素沈着など)に伴うストレス |
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家族の問題 | 親子関係、同胞との関係 |
社会の問題 | 学校の問題、友人との関係、仕事・職場の問題、経済的な負担 |
将来への不安 | 進学、就労、結婚、出産など晩期合併症について |
思春期・若年成人(AYA世代)に発症するがん診療 | 国立がん研究センター 東病院
バレー部主将で発症
急性リンパ性白血病と診断されたのは平成30年5月でした。背中が痛くなり、急に高熱が出ました。
バレー部でキャプテンを務めていましたが、試合中も体調が悪かった。部の保護者に看護師の方がいたので診てもらうと、目の下が真っ白。「貧血かもしれないから病院に行った方がいい」と言われて、地元の内科で血液検査を受けました。
その翌日。学校にいたら、母親からすぐに帰ってくるように電話がありました。家に帰ると、開口一番「あんた、白血病かもしれない」と告げられました。
「まさか」って思ったけれど、その日のうちに都内の病院で精密検査を受けた結果、「急性リンパ性白血病です」と告知されました。
病気のことはよく知らなかったけれど、「これはもう死んだな」と落ち込みました。心配させたくない気持ちが強すぎて、親の前では涙は見せられなかった。
そのまま入院することになりましたが、親と入れ替わりで兄と姉が来てくれたんです。きょうだい3人で泣きながら話をしたことで、生きる気力が持てました。どんな会話をしたかは3人だけの秘密です。
兄から骨髄移植
治療はまず、ステロイド剤を使いました。副作用がひどく、食べようとしても吐いてしまう。
うつ状態になり、会話中でも感情がいきなりプツンと途切れるんです。自分がなくなっていくような怖さがありました。祖母の励ましで乗り越えられましたが、このときが一番つらかったです。
治療を進めるうちに染色体異常が見つかり、骨髄移植を検討することになりました。
大学受験・進路のこと
ただ、骨髄移植をすると付属大学の内部進学試験に間に合わない。友達と一緒に卒業したかった。でも、難しいタイプのがんだと判明し、治験に参加することや10月に兄から骨髄移植を受けることが決まり、休学になりました。
高校が配慮
ただ、通っていた私立高校の先生は親身になってくれました。翌年4月から復学しましたが、学校側は病院まで来て対応を学んでくれました。
移植によって免疫力が落ちてしまい、ちょっとした病気が命取りになるのですが、クラスメートの理解もあり、同じ教室で授業を受けることができた。恵まれた環境でした。
家族・小児病棟の仲間が支えに
222日間の入院中もその後も、家族がいつも通り接してくれたことがありがたかったです。話す場所が家から病院になっただけで家族のあり方は変わらない。
ぼくの口癖の「負ける気がしない」って言葉を書いたTシャツを姉が作ってくれたこともありました。
小児病棟の仲間との時間も支えでした。病室で間仕切りのカーテンを開けて話をしました。大学で何がしたいとか、みんなでディズニーランドに行きたいとか。退院後の未来を語るのが楽しかった。
将来の夢も見つかりました。入院中に、中学の恩師からメッセージがきたんです。
「貴重な青春が奪われた経験があるからこそ、高校生活の大切さを教えられる」と教師を勧められました。人に教えるのは好きだったし、「向いているなら」とこの言葉をきっかけに進路を決めました。
今も治療は続いています。病院で出会った子たちには、亡くなってしまった子もいます。これまでの人生や、やりたいことを聞いていたから、余計に「本当はこんなことしたかったんだろうな」って気持ちがこみあげてくる。将来は高校教師になって、病気になった自分だからこそ伝えられる、命の尊さや学生生活の大切さを教えていきたいです。