病気や悩みを抱える人が、同じ境遇の人を支えること。
国も認知症のピアサポート活動に補助金を出すなどして後押ししている。
同じ境遇だからこそ話せる
「できなくなったことは、どうやってもできない。でも、できることをやっていけば、どんどん世界が広がっていくよ」。
香川県三豊市立西香川病院にて、週一回開かれている「認知症カフェ」
相談員の渡辺康平さんが、認知症の男性に声をかける。
渡辺さん自身も認知症と診断されていることが、西香川病院認知症カフェの特徴。
以前からおかしいと思っていたが、脳血管性認知症と診断されると、気持ちが沈んで引きこもりがちになった。食欲もなくなり20キロも体重減少した。
妻の協力もあり、庭や公園の散歩など少しずつ外に誘い出すと、数か月後には友人と碁を打てるまでに元気を取り戻した。
認知症だからこそ病院相談員
「仕事として引き受けたことで、責任感が増した」。
時には妻も一緒に相談に乗る。
充実した日々を過ごしている。
「面談を重ねて、だんだん笑うようになっていく姿をみられる時が一番うれしい」。
活躍できる場の創出
渡辺さんが相談員を務めるようになったきっかけを作ったのは、39歳でアルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さん。
西香川病院が開催した講演会で二人は出会い、丹野さんは「渡辺さんが活躍できる場を作りたい」と考えたという。
その場で、病院長に「渡辺さんを雇ってみませんか」と提案したという。
「医者が『認知症になっても、楽しみは増やせる』と説明するより、認知症の当事者が話す方が説得力がある。」と考えた院長は丹野さんの提案を受け入れた。
渡辺さんは当初この提案に「ボランティアでいい」と答えていた。
院長は「後に続く人たちのために、認知症になっても仕事ができるという道を切り開いてほしい」と説得して職員として採用した。
ピアサポート活動
miyagininntishou.jimdofree.com
丹野智文さんは、39歳で診断される前から勤務していた「ネッツトヨタ仙台」(仙台市)の理解を得て、今も社員として給料を受け取りながら、講演活動などに専念している。
一般社団法人「認知症当事者ネットワークみやぎ」を設立。
認知症当事者のメンバーとともに、地元のクリニックでピアサポート活動を行っている。
メンバーには法人への寄付金などから報酬も支払われている。
「『認知症でも働ける』ではなく、『認知症だからこそ働ける』仕事として、ピアサポートを広めていきたい」と丹野さんは語る。
早期診断・早期絶望の解消
以前は、中等度になってから認知症と診断され、すぐに介護サービスを利用できるケースが多かった。
現在は、診断技術の向上や関心の高まりから、認知症の初期の段階で診断される人が増えている。
認知症の初期段階で診断されると、症状が進行し介護サービスが必要になるまでの間、支援がない「空白の期間」が生じてしまう。
この状態を、早期診断、早期絶望であると指摘する声も出ている。
厚生労働省では、
「実際に社会参加できている認知症の人がピアサポートに参加することで、認知症と診断された直後の不安感を減らせる」と期待を寄せている。
行動計画「認知症施策推進大網」において「全都道府県でのピアサポート活動実施」を目標に掲げている。
具体的には、認知症ピアサポート活動の支援のために、都道府県が実施したり委託したりしている活動に補助金を出す事業を始めている。