手をあげ、涙あふれた
母の介護体験を著書にした、松浦晋也さん。
認知症と診断された母を介護する苦しみの半分は、母の拒否と抵抗でした。
食事の支度をすれば「まずーい」と大声で言う。
以前の母なら考えられないことです。
トイレで排泄(はいせつ)を失敗し、掃除しようとして紙を詰まらせ、水があふれる。「自分ではできないでしょうが」と怒っても、「自分でやる」。
怒鳴りあいで互いに消耗しました。
「自分が母を支えるしかない」と思い込み、ストレスで体調を崩し、幻覚にも悩まされました。
科学技術ジャーナリストとしての仕事ができず、預金が急減するのも恐怖でした。
気づけば「死ねばいいのに」と独り言をつぶやくようになりました。
ある日、食品を台所いっぱいに散らかして「おなかが減って」と訴える母に、手を上げてしまいました。
直後は放心状態で、涙があふれました。
海外で暮らす妹に事情を話すと、すぐに母のケアマネジャーに連絡してくれました。妹は私を責めませんでした。母は17年1月からグループホームに入居しました。
私の介護は「失敗」でした。介護を家族で抱え込むのは無理です。
家族は近いが故に愛情もある半面、憎しみやあつれきも大きくなります。
悩み語らう「つどい」
家族や自分が認知症になった時、同じ立場の人に悩みや愚痴を打ち明けられる場所があります。
その一つが、「認知症の人と家族の会」が定期的に開く「つどい」です。
この会は1980年に京都で始まり、全都道府県に支部があります。
「ここで話したことは、ここだけのことです。何でも思っていることを言ってください」。
司会者が促すと、認知症の家族と暮らす悩みやリフレッシュ法、病院の情報など、様々な話題で語り合いました。
つどいに参加すると、同じ状況の人が悩みや日々の出来事を語り合っていました。斉藤さんも、母親や家族のことなどを話しました。「認知症の家族がいる」という共通点があるだけで安心できると感じました。
愚痴ってもいい
今は斉藤さんが支える側です。
数カ月前、一人の女性が「どん底にいるような表情」でつどいに現れました。
「母の首をしめようかと思う」。
斉藤さんは「ちょっと笑ってくれることがあったら、その日一日は生きていける。爆笑させられたら1週間、生きていける。その積み重ね」と体験を話しました。
女性は「笑うことを忘れてたし、笑わせるなんて考えたこともなかった。
ちょっと笑わせてみます」と帰っていきました。
「彼女のように苦しんでいる人が、一人でも多く気持ちのチャンネルを切り替えられるように手伝いたい」
「最初は不安があるかもしれませんが、ぜひ仲間がいる安心感を知って欲しい」